新聞寄稿

 


  

 中国新聞朝刊「文化面」に《緑地帯》という寄稿欄があります。
 2014年3月に投稿させていただいた『宗教的習俗の再発見』を
 ここに紹介いたします。

 1回600字程度、8回という枠の中で、
 好き勝手を書かせていただいた物です。

 

(一) 2014.3.26 水

 ことし1月、東京の青山葬儀所で淡路恵子さんの葬儀が仏式で営まれた。弔辞でジャズシンガー綾戸智恵さんが数珠を左手に持ち、キリスト教の賛美歌であるアメージング・グレイスをアカペラでささげた。日本人の宗教観の懐の深さを垣間見た思いがした。
 厳島神社の「平家納経」を思い出す。2012年に広島県立美術館で開かれた「平清盛特別展」でご覧になった方も多いと思う。神社にお経を奉納したのである。もっとも、厳島の本地仏ほんじぶつは観世音菩薩ぼさつであると清盛による願文にも見られるから、宗像三女神と観音菩薩に同時に奉納されたとも取れる。明治維新の神仏分離で本殿の後方にあった瓦ぶきの観音堂は壊され、十一面観音は大聖院にお移りになった。
 現在、多くの神社や寺院は神仏習合がまるでなかったことのように振る舞っておられる。しかし、一般庶民にとって習合は今も生きていると感じる。
 この神仏習合。よく観察すると神道・仏教に加え、儒教、陰陽道おんみょうどうもかなり入り込んでいる。この区別のない状況を「節操がない」という向きもあるけれども、この混交こんこうこそが飛鳥時代以前から続く日本精神文化の底流であると考えている。さらには、合理主義、資本主義、キリスト教なども習合していると思うのは考えすぎだろうか。私は解剖学者というもとより門外漢だが、習俗をいま一度俯瞰ふかんしながら、生活に潤いを少しでも取り戻す縁よすがとしてみたい。

 

(二) 2014.3.27 木

 子どもの頃、「舶来品」はすなわち高級品であった。洋服生地、万年筆、玩具などなど。おそらく、遠く卑弥呼の時代から外国からやって来るものは高級で、倭人わじんたちは役に立つもの全てを取り入れたに違いない。
 物に限らず金属加工、稲作、伽藍がらん建築などの先端技術に加え、仏教、儒教、道教などの思想もそうだ。儀式の方法を知らなかった時代に、儒教の式次第や作法はどれだけ役に立ったことだろう。鎮護国家という願いに大仏様は霊験あらたかであり、怨霊やたたりを鎮めるには密教の真言、陰陽道おんみょうどうの呪法や風水は効いたのだろう。これら「役に立つもの」を、それまでの自然信仰や言霊ことだま信仰、祖霊信仰といった日本古代宗教に取り入れていった祖先たち。
 さて舶来ものを取り入れるに当たっては、共通性があると考えている。①有用ならば表面的でも構わない(理屈や教義をうるさくいわない)②日本流にアレンジする(理解できる範囲で取り入れる)―の2点である。自然科学や民主主義、資本主義といった役に立ちそうなものを表層だけでも取り入れている現代と少しも違わないように思う。
 理屈をとやかくいわないという点をみても、例えば信仰にかかわらずクリスマスを祝うなど枚挙にいとまはない。実害がなければ、それが日本文化であると、ほほ笑ましくもある。もっとも僧侶の肉食・妻帯・蓄髪は明治政府が1872年に太政官布告を出して許可したのだから、それに従ったまでといえば筋は通るのかもしれない。

 

(三) 2014.3.28 金

 縄文・弥生の時代から、亡くなった人の霊はあの世(山、海、地下)に行くと信じられてきた。ただし、地下にあるという「黄泉よみの国」は古墳時代後期の横穴式石室と関係が深いとものの本で読んだことがある。今ではあの世は空、星、風にまで広がっているようだ。
 例えば、祖母は草場(墓)の影から、父親は星になって、早世した息子は千の風になって私たちを見守ってくれている。そして、時期を決めて霊は帰ってくる(正月、春秋の彼岸、盆)。弔とむらい上げ(三十三回忌・五十回忌)が済むと、祖先の霊と合一してカミとなると考えられてきた。外来宗教が定着してからは、あの世は「地獄・極楽」とか「天国」ということになったが、大方の人にとって近親者の魂は遠い場所ではなく、身近な星に、位牌いはいに、墓に、風に、山にこそ、居てほしいのではないだろうか。
 祖先の霊が生きている者に影響を与えるというのが祖霊信仰である。祀まつれば豊作や安全を保証してくれるが、そうでないとたたる。「たたることなくカミになってください」という表現が神仏習合で「迷わず成仏してください」になったのである。祖霊の依り代よりしろとして位牌が庶民に一般化したのは江戸期といわれているが、火事の時にはせめて位牌だけでもという気持ちは祖霊信仰そのものだろう。
 科学万能のご時世だが、古代から続く祖霊信仰が残っていることを、単なる迷信ではなく、共通の思想なのだと思っている。

 

(四) 2014.3.29 土

 東京・多摩動物公園のオランウータン。受験期に大人気という。樹上生活の彼らはめったに「落ちない」そうだ。中国地方では、防府天満宮も受験期に大混雑する。断面五角形の合格鉛筆が人気。語呂合わせなどを工夫した菓子類や人形など験担げんかつぎグッズがめじろ押しだ。逆に、「落ちる」「滑る」などというのは縁起が悪いとされる。
 結婚式で「別れる」「切れる」は忌み言葉である。言ってしまった後でご両人が別れると、おまえがあんなことを言ったから、と非難されてしまう。言霊ことだま信仰が今の今でも脈々と生きている証拠の一つである。口に出した言葉には霊力があって現実に起こるというのがこの言霊である。良い言葉を発すると良い事が起こり、不吉な言葉を発すると凶事が起こる。古今集仮名序に、歌(言葉)は「力をも入れずして天地を動かし/目に見えぬ鬼神をもあはれと思はせ/(後略)」とある。「雨!」と言挙ことあげするだけで翌日には雨が降るという。言葉の威力はすごい。
 笑えないこともある。太平洋戦争中、日本が負ける可能性について議論すらできなかった。そんなことを口外すれば、不吉だとして国賊扱いになっただろう。ほんの数年前までは、原発についてもオープンな議論ができなかったといえる。日本の危機管理が大きな課題を抱えているのは、言霊と無関係ではないように思えるが、これらはさすがに実害ありと言わざるをえない。
 ともあれ、言霊信仰をばかげていると切り捨てるのではなく、実害のない限り、縄文からの習俗だと笑って受け止めることがすてきに思える昨今である。

 

(五) 2014.4.1 火

 絆、ほとんどの人は「きずな」と読むが、もう一つ訓読みがある。「ほだし」である。前者は切っても切れない大切なつながり、後者は心や行動の自由を妨げるもの、という意味となる。きずなになるか、ほだしになるかは紙一重。深い愛情もどちらかが束縛と感じた瞬間、ほだしとなる。
 私の町内では恵比須神社の例大祭、亥の子、正月のとんどが開催されていてうれしい。近くの宮司さんが祝詞のりとをあげてくださる。例大祭は本場の神楽団に来ていただく。お世話する方々は大変である。とんどの組み上げは男性陣、後でいただくうどんは婦人会の方々。亥の子となれば小さい子を持つお母さんたちの理解と協力がないと成り立たない。どれも頭の下がる思いだ。お世話は「ほだし」を含むが、やがては地域の「きずな」になってくれるに違いない。大きな災害が起こった時、生きてくるだろう。
 戦前まで神社や寺院がコミュニティーセンターであった。祖霊や言霊を信仰するという共通思想で結ばれていた。さまざまな年中行事は家族ではなく、センターを中心とした集落単位で行う行事であった。盆踊りにその名残がある。今は、行政が地域交流センターという名のハコを建てるが、精神的なつながりは考慮されていない。
 都市化・核家族化などで地域の精神的なつながりなど夢物語のようにも思えるが、公民館、社会福祉協議会、お祭りなど地域のさまざまな組織や行事に積極的に参加するだけでも、「きずな」再生に貢献できると思われる。

 

(六) 2014.4.2 水

 ごく親しい友人の葬儀が姫路市内であった。浄土真宗本願寺派。「帰命無量寿如来」と僧侶が声を出すが参列者は鴉雀無声あじゃくむせい。音程が上がって「ナーモーアーミーダンーブー」となっても僧侶のみ。私は宗旨が異なるものの、真宗の葬儀は広島のように皆で念仏を唱えるのがふさわしいとその時思った。
 葬式といえば戒名(宗派によっては法名、法号)。江戸初期の有名な偽書「神君様御掟目宗門檀那請合諚」に《戒名を付けろ、布施を払え、修繕費を負担しろ、寺は変えるな》などと書かれている。キリシタン追放の制度に紛れて全国民が没後戒名をつけることになった。拒否するのはキリシタンだと脅された。全国民が仏教徒とされた瞬間である。もっとも寺は幕府に布教を禁じられたので、寺の経営基盤はこの偽書に支えられた。明治維新、敗戦を経てもその偽書の内容はなお生きているらしく、高額な戒名料で揉もめることもあるそうだ。最近はインターネットで戒名料3万円というところも出てきた。
 もともと成仏には戒名は不要だと仏教書にあるが、かと言って戒名なしに葬式を出すのは気が引ける。400年続いた習俗はさすがに根強い。美空ひばりの戒名は「茲唱院美空日和清大姉」。本来は現世を離れた名がふさわしいはずであるが、最近は生前の功績が何となく分かるようなものになってきている。戒名の是非はともかくも、親しい人の冥福(死後の幸福)を祈ることは残された者の心を癒やしてくれることにもつながり、大切にしたいと思う姫路からの帰路であった。

 

(七) 2014.4.3 木

 節分といえば、最近は恵方巻が加わった。調べると「平成元年、広島市内のセブン-イレブン店舗が販売を開始し」とある。さすが、新し物好きの広島である。そして瞬く間に全国展開となった。大きな経済効果を生んでいる。
 恵方とは、陰陽道おんみょうどうで歳徳神としとくじんの在する方位を言う。伝わってきた道教が日本独自の発展を遂げたものが陰陽道。701年の大宝律令で政府機構として陰陽寮が設置された。陰陽師では安倍晴明が有名だ。風水、占い、暦、姓名判断など、表向きには陰陽道とはいわないものの今でも大流行である。日々の吉凶や方角の善しあしを印刷した伊勢暦が江戸期に流行し、一時禁止されたが「高島暦」として復活している。
 悪い方角といえば鬼門であろう。現代中国風水にはなく今は日本独自だそうである。鬼門封じとして、平城京には東大寺、平安京には延暦寺、江戸城には寛永寺、広島城には饒津にぎつ神社など。飛鳥時代にはすでに道教も入っていたが、宗教というよりも最先端科学として理解されていたに違いない。
 他にも古式の占い神事もあれば、タロットカードもある。民放各局は朝の番組で「今日の運勢」を放映し、女性向け雑誌の占いは充実している。おみくじで大吉が出るまで頑張る人がいるが、大昔の中国(殷)でも好ましい結果が出るまで王が何度も亀卜きぼくをやり直したという記録があって楽しい。
 ただ、相が悪い、悪い霊がついているなどと言って、高額な印鑑、ガラス玉、数珠などを売りつける悪質霊感商法には気を付けたい。

 

(八) 2014.4.4 金

 日本書紀巻第二に「草木ことごとくよくものいふことあり」とある。アニミズムである。これが天台本覚の草木国土皆悉成仏(万物には仏性がある)に連結する。動植物だけでなく石にも山にも魂があると信じる。元旦の御来光、世界遺産になった富士山、大木、大きな滝、大きな岩など、みな信仰対象のままである。アニミズムが現代に生きていることに感嘆してしまう。
 広島市西区の真言宗三瀧寺みたきでらの三つの滝も信仰の対象だろう。この滝の水、平和記念式典の献水にささげられる。寺は原爆でも無傷であったため、臨時救護所となったと同時に、宗派を問わない慰霊所となったに違いない。いま、各宗派の祖師像が建っている。
 このアニミズムを基として祖霊信仰や言霊ことだま信仰が加わった古代日本宗教。やがて天照大神や大国主命に統合され、儒教、仏教、道教と混じり合い、西洋文化までも入ってきて今がある。しかし、私たち日本人の心はいまだに古代日本宗教がベースとなっているようだ。それを無理を承知で一言で表すと「生きとし生けるものすべての命を大事にする」ということではなかろうか。
 いま身の回りには大きな問題が山積している。イジメによる自殺、エネルギー問題、想定される巨大地震、都市化による地域コミュニティーの崩壊など書き切れないほどある。いま一度「すべての命を大切に思う」という精神文化をつないできてくれた祖先たちの宗教的習俗をあらためて見直し、それを問題解決の出発点の一つとし、さらに良いところは後世にのこしていきたいものだと思っている。 =おわり

 

        
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